お城の中に駅がある!? 甲府城 【オススメ観光地9】
皆さんこんにちは!!
本日は18きっぷで日帰りできるオススメの観光スポットのご紹介です!
大変景色がいい中央本線で、新宿から約二時間半!!
甲州といえば、甲斐の虎で知られる武田信玄の家である武田氏が有名ですが、ここは滅亡後豊臣秀吉の命により築城されたそうです!
明治時代になると、甲府城も廃城となり、明治10年前後には城内の主要な建物はほとんどが取り壊されました。まず内城全体が勧業試験場として利用されはじめ、さらに翌年、鍛冶曲輪に葡萄酒醸造所が設置されるなど、城郭としての機能は失っていきました。また、現在の山梨県庁が旧楽屋曲輪内に設けられ、中央線敷設に伴い屋形曲輪、清水曲輪が解体されるなど、さらに城郭が縮小され、現在では内城の部分のみが城跡としての景観を保っています。
今でも、大きな敷地だと感じますが、相当小さくなって残っているそうです!
関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたとされていて、徳川体制になってからは逆に西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。
かつては20haほどの広大な城郭だったそうです!!
なので駅のどちら側にいっても城跡に行くことができます!
北側には、古い町並みを活かしたお店群があります!
ここは甲州夢小路という施設になっています!!
小江戸情緒が息づく、明治、大正、昭和初期の甲府城下町が再現されています!!
ここで、シンボルとなっているのが時の鐘です!!
時の鐘は寛文年間(1661年~1673年)に設置され、その50年ほど後には現在の甲府駅北口に近い愛宕町へ移転されたそうです!
以降、200年以上、住民に時刻を知らせていたのですが、明治時代初期に取り壊されてしまったそうです。
この鐘楼は、甲府市民の幸福と甲府市の発展とともに、甲府を訪れる多くの方々のご多幸を記念して、141年の時を経て、平成25(2013)年に、甲州夢小路に新造されたそうです!
時の鐘の写真や図面が残っていないため、明治時代の建築で時の鐘を模写した可能性があるといわれる法性山玄法院(同市天神町)の鐘楼をモデルに再現。、同寺に残されていた写真・鳥瞰図・礎石を基に、底辺3間(5.4m)角、高さ5丈(15m)、銅張の外壁といった仕様で、忠実に再現されています。
レトロな入り組んだ路地の中に様々なお店が入っています!
古民家や蔵、倉庫などがとてもいい雰囲気を醸し出しています!
昔の建築様式を取り入れた店舗のほか、水路や石畳が配され、レトロな雰囲気の路地を歩く楽しさが味わえますよ!!
是非食べていただきたいのが、信玄餅ソフトです!!
筆者はいっつも食べています(笑)
遠くから見るとこのような景色です!
レトロな雰囲気が城下町に合いますね!
北側には、甲府市歴史公園があって山手御門があります!
その山手御門とは、山手門(やまのてもん)と山手渡櫓門(やまのてわたりやぐらもん)の総称だそうです!
こちらは線路を挟んで見た先程のエリアです!
ここからは逆側の南側のご紹介です!
こちら側に本丸側があるため、現在でも比較的多くの敷地が残っています!
現在天守は残っていませんが、高いところから市内を見下ろすことが出来ます!!
甲府城は明治に入り、徳川時代の面影を大幅に失うこととなり、残された城跡が明治37年(1904)に「舞鶴公園」として開放されました。
昭和5年(1930)には、甲府中学校の移転に伴い、旧追手役所跡にあった県庁舎や県会議事堂が楽屋曲輪跡に移り、同時にその西側、南側の堀は完全に埋められました。その後、武徳殿(昭和8年)、恩賜林記念館(昭和28年)、県民会館(昭和32年)、議員会館(昭和41年)などが公園内に設置されました。
昭和39年(1964)には都市公園「舞鶴城公園」として都市計画決定されました。最近では、舞鶴城公園整備事業が行われ、鍛冶曲輪門、稲荷曲輪門などの門や稲荷櫓が復元されました。
天気がいいと富士山まで見えます!!
ここ思った以上に結構高いんです!!
先程の北側エリアも見えますね!
庭園もそなわっています!
1番南側の出入口にやってきました!
遊亀橋というそうです!
ここは現在もお堀が残されています!
線路よりのところには櫓が残っていて、今でもお城感を感じれるスポットです!
山梨といえば、やっぱりほうとうですよね!
いつもこのお店でほうとうを食べています!
お金がないので、少々お高めの熊肉や猪肉ほうとうが気になりながらも、結局一番人気のかぼちゃほうとうにしてしまいます(笑)
今回はお城だけでしたが、甲府には信玄公ゆかりの施設や昇仙峡など大変有名な観光スポットが多くあります!!
近場で気軽に日帰りできる甲府!
ぜひ行ってみてください!
ありがとうございました!